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歴史好き、法隆寺好きの方にはこちらの謎解きキットがおススメです!歴史改変を企む、謎の国際組織から「太子の秘伝書」を守り抜こう!
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運動好きの謎解きファンにおススメなのが、信貴山謎解きキット!信貴山の広い敷地内を謎を解きながら巡ってみませんか?ご家族で楽しんで・・・
法隆寺及び法起寺の拝観料改定に伴い、4寺周遊券は2027年2月28日をもって販売を終了させていただきました。
観光スポット
聖徳太子と推古天皇が7世紀初めに創建した。金堂や五重塔などは世界最古の木造建築として知られ、1993年に姫路城などとともに日本で初めて世・・・
聖徳太子の母・穴穂部間人皇后の願いによって創建された。優雅にほほ笑む本尊の菩薩半跏像(寺伝では如意輪観音)は、モナリザなどと並ぶ「・・・
聖徳太子の岡本宮を、遺言により息子・山背大兄王が寺を改めたことに始まる。706年建立の三重塔は、日本に現存する最古の三重塔。1993年、法隆・・・
山背大兄王が父の聖徳太子の病気回復を願って建立されたと伝わる。飛鳥仏の本尊・薬師如来坐像や虚空蔵菩薩立像などを講堂に安置。飛鳥様式の・・・
天智天皇の勅願で創建され、10世紀末に恵心僧都源信が開基した。ご本尊の阿弥陀如来像に祈ると、長患いせずに極楽往生できるといわれる。御朱印・・・
社伝では、聖徳太子が法隆寺の寺地を探し求めていた際、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はそ・・・
生駒市内から平群町内を流れ、斑鳩町内で大和川に合流する1級河川。古くから、詠歌の名所として知られ、在原業平の「千早ぶる神代もきかず竜・・・
桜の名所で、三室山の半分を覆う300本の染井吉野がある。満開の時期は山半分が桜色に染まり、町の人たちの憩いの場所になっている。麓には能・・・
直径48mの大型円墳。6世紀後半の築造と推定される。昭和60(1985)年と63(1988)年の2度発掘調査が行われ、未盗掘の朱塗りの家型石棺、土器類、精巧で豪・・・
形状は前方後円墳となっており、斑鳩町指定史跡に指定されています。古墳名は、聖徳太子の愛馬「黒駒」を埋葬したという伝承に由来している・・・
養老2年(718)、舎人親王が「日本書紀」の完成と自らの42歳の厄除けを祈願し創建されたと伝わる。厄除け寺としては日本最古のもので、本尊木造千手・・・
聖徳太子がこの山で「寅の年、寅の日、寅の刻」に毘沙門天王の力を借りて世の中の平和を取り戻し、そのことにより聖徳太子がこの山を「信ずべ・・・
寛文3(1663)年、大和小泉藩主片桐貞昌が父の菩提を弔うために、大徳寺185世玉舟和尚(大徹明應禅師)を開山に迎え建立した臨済宗大徳寺派の寺・・・
慶長6年(1601)、賤ヶ岳の7本槍で名をはせた片桐且元が4万石の大名として構えた城の跡。堀が縦横にめぐらされて雄大であったと伝えられています・・・
日本最古の延命地蔵菩薩を安置している矢田寺は、城下町・郡山より西へ3.5キロ、矢田丘陵の中心矢田山の中腹にあります。当初は十一面観世音・・・
『古今一陽集』(江戸時代)によると、平安時代の天慶年間(938~947年)に法隆寺別当の湛照僧都が、自身が菅原氏の子孫であるとして菅原道真を・・・
安永6(1777)年銘の奉献の石灯の銘文にも見られるように白山大権現とも称し、また、明治7(1874)年の大和国郷村社取調帳には白山神社と記され・・・
推古天皇21年(613年)12月、この地で瀕死の旅人を見つけた太子が、衣食を与えて看病したが、翌日亡くなってしまいます。そのことを大いに悲しん・・・
王寺町の明神山は標高273.6mの低い山ですが、山頂では360°の大パノラマがひらけ、5つの世界遺産を目にすることができます。大阪府側では世界遺・・・
明神山の頂上は、「プロポーズにふさわしいロマンチックなスポット」として「恋人の聖地」に選定され、展望デッキには恋人たちが愛を誓う「悠・・・
2020年に文化庁から認定された日本遺産「『葛城修験』―里人とともに守り伝える修験道はじまりの地」は、役行者がはじめて修行を積んだ地とされ・・・
太平洋戦争未明、ラングドン・ウォーナー博士の空爆すべきでない地名のリスト(ウォーナーリスト)を作成して米政府に進言したことによって、・・・
中家住宅は、二重の濠に囲まれた、大和川北岸に残る大和地方の典型的な環濠屋敷です。平城(ひらじろ)型式を取り入れた、武家造りと農家造り・・・
奈良県再設置の功労者である今村勤三の生家に安堵町に関する資料が展示されています。伝統産業である灯芯づくりも紹介されています。
令和元(2019)年8月、新たに誕生した安堵町文化観光館「四弁花」。四弁花とは、安堵町が生んだ日本近代陶芸の巨匠である富本憲吉の作品に用いら・・・
王寺町を訪れた観光客や「雪丸」ファンなど多くの方に訪れていただき、王寺町を周遊するきっかけになるよう王寺町の観光情報を発信する拠点。
明治時代、奈良県内で初めて鉄道が開通した王寺町は、「鉄道のまち」として発展し、全国の鉄道ファンも注目する町です。舟戸児童公園には、1・・・
王寺町の北端を流れる一級河川・大和川には、河川敷に一面が芝生の「ふれあい広場」があり、昭和橋〜多聞橋の間ではゴムチップ舗装されたジョ・・・
復元された追手門、隅櫓、多聞櫓などが往時を偲ばせる。天守台の石垣には、さかさ地蔵、羅城門の礎石など、転用石がある。県文化財。城址・・・
日露戦争戦捷記念として明治41年10月30日に竣工した旧県立図書館(明治41年)を移転保存したもの。県指定文化財(平成9年3月21日・・・
大正13年に建てられた。各部屋や廊下の窓にいろいろ趣向を凝らし、木造三階建の建築遺構として貴重なもの。登録有形文化財(平成26年10・・・
洋風建築(大正)大正10年ごろの建物。奈良では数少ない大正時代の建物として貴重な存在。18世紀ヨーロッパの都市の民家風建築。登録有・・・
明治23年から24年建築。当時は、両替商。虫篭窓の分銅の印が両替商のなごりです。屋根には、「むくり」がつけられ、「煙出し」が残り、表には・・・
元紺屋(享保13年頃から代々染物屋を営む。)染物屋さんが集まっていた紺屋町。道筋の中央には水路が通り独特の雰囲気をかもしだしている・・・
昭和35年開設。毘沙門郭跡にあり、柳澤家から寄贈された柳澤家歴代藩主の書画や郡山藩の公用記録をはじめとする藩政資料など数万点に及ぶ古文書・・・
本丸跡にあり、祭神は江戸幕府五代将軍綱吉の側用人・柳澤吉保。旧藩士等の手によって明治13年創立。
平成28年1月に開館した、城下町にある小さな資料館。大和の事は何でも知っている大和の生き字引きと言われた水木十五堂の資料や赤膚焼、城下町・・・
金魚の産地・大和郡山市にある「やなぎまち商店街」は「金魚ストリート」と銘打ち、きんぎょの魅力を活かした取り組みを行っています。現在「・・・
先代の代表嶋田正治が1982年に「1年中いつでも金魚が見ることができる観光施設が全国の何処にもない」と私費で「郡山金魚資料館」を開館しました・・・
祭神は櫛玉饒速日神、御炊屋姫神。磐船に乗って饒速日命が飛来したという神話から航空の神様として信仰を集めている。またこの地を邪馬台国だ・・・
祭神は、誉田別命・息長帯比売命。奈良時代に大宮人のための薬草園があったところ(塩町の御旅所)に建立された神社で、のちに現在の場所に移・・・
祭神は、稗田阿礼命、副として天鈿女命、猿田彦命。『古事記』の伝承者として知られる稗田阿礼命の御遺徳に感謝するため、毎年8月16日に阿・・・
朱雀大路の南端にある平城京の表玄関。外国の使節がこの門から入場した。門は観音寺町の来世橋の位置に比定され、門の礎石は、佐保川の河川・・・
平城京の国営市場で東西2ヶ所にあった。その1つが西市。月の後半の15日間開催。秋篠川が物資運搬を担っていた。
村の周囲に濠をめぐらして外敵と洪水から守り、利水を目的にした中世の遺構で、ほぼ完全な形で残されている市指定文化財。環濠集落の典型的な・・・
黄檗宗。郡山藩主本多忠常の墓所、長文の碑文のある市指定文化財「歌ケ崎碑」の管理寺。寺内墓地に儒学者谷口元淡と、その高弟の文人柳里恭等・・・
在原業平が在原寺(天理市櫟本)から河内の高安(八尾市)にいる恋人のもとに通う時にこの井戸に自分の姿を映したといわれている。傍らに「蟲・・・
天武天皇皇子舎人親王の御発願で創建したと伝えられ、本尊は国重要文化財の木造薬師如来坐像。他にも木造吉祥天立像・地蔵菩薩像・毘沙門天立・・・
国重要文化財本尊木造阿弥陀如来及び両脇侍立像(快慶様式 鎌倉時代)で知られている。天正9年(1581)に僧宝誉が長安寺村に建立し、天正13・・・
戦国時代大和を統治し、織田信長の命により郡山城を築城した筒井順慶の墓所で、今日残っている五輪塔とその覆堂は、国重要文化財。
豊臣秀吉の弟、大和郡山百万石の城主、大納言豊臣秀長の墓所。秀長は、天正19年(1591)1月22日に郡山で没。市指定文化財。
郡山藩主 本多政勝侯 菩提所 本多政勝侯は徳川四天王の一人の本多忠勝侯の孫で姫路15万石より大和郡山へ19万石で入部。開山上人は照善院・・・
恵心僧都の姉、願正尼が開基したといわれている。本尊阿弥陀三尊の中尊は、室町時代の造立、脇侍の観音・勢至立像は鎌倉時代の造立。これを納・・・
本尊阿弥陀如来立像は藤原時代。柳澤吉里が郡山城主となる時、幕府方の城引渡し役人大森七郎はこの寺を宿舎としていた。西方寺一切経は市・・・
郡山城天守台展望施設完成記念事業としてお城まつりの間に実施された「修羅引き」の際、実際に使用された「修羅」と石が(株)淺沼組大和郡山営業・・・
大納言豊臣秀長の菩提寺。秀長の肖像画(市指定文化財)や御朱印箱及び箱本制度の史料文献(県指定文化財)が残されている。4月に大納言祭があ・・・
祭神は、誉田別命、比売大神、気長足媛命。柳八幡宮ともいう。鎮座は室町時代といわれ、現在地には文禄3年(1594)5月頃現在地に移転。郡山城・・・
小泉藩主片桐貞昌の時代、家臣の茶人藤林直良が創建した。本尊は青面(しょうもん)金剛像。往時は一国一宇庚申として大和国の庚申信仰の総道・・・
祭神は素盞鳴命・誉田別命・牛頭天王。小泉藩主以下家中の奉納したものがある。本殿は国重要文化財。九頭天王社は雨乞いの水神様。木造女神像・・・
周囲に堀をめぐらした、小泉藩主片桐氏の陣屋跡。
民俗博物館は、延面積4,250㎡。資料約7,400点。県内各地より集められた民俗資料が展示されている。大和民俗公園(26.6㏊)には大和各地の価値・・・
祭神は、宇迦之御魂神(保食神 うけもちがみ)・源九郎稲荷大明神で古くは日本三大稲荷のひとつ。源義経が吉野に落ちのびた時、白狐が側室静・・・
黄檗宗龍華山。郡山城主柳澤家の菩提寺で、柳澤吉里が甲府から国替えの際、当地に移築したもので、市指定文化財の山門は旧郡山城城門を移築し・・・
祭神は誉田別命。奈良時代の植槻寺となんらかの関係があったものと思われる。植槻寺は、和銅2年(709)藤原不比等が浄達法師を招いて維摩会を・・・
郡山城の外堀を利用し整備された市民憩いの公園です。緑地の「北門」が建てられた「常念寺裏濠」から「南門」の建てられた「洞泉寺裏濠」まで・・・
江戸時代には4基ほどあったが、現在は1基だけが再建されて残る。櫓の下には消防団の詰所がある。
智を開き、道を明かす。聖徳太子が学舎として親しんだ熊凝精舎の地に強くしなやかに生きるための知恵が、光ある道へと導きます。不・・・
今から約2100年前、第十代・崇神天皇(すじんてんのう)の時代、国内に凶作や疫病が流行し騒然としているなか、天皇の御夢に大神様が現れ「吾が宮・・・
馬見丘陵公園は広陵町から河合町にかけて広がる丘陵内にある奈良県営の都市公園。四季折々の花が咲き一年中楽しめるのが特徴です。
天武天皇により、三郷町にある龍田風神と二社一対のお社として、龍田と廣瀬の両社を併せ祀る事により風水を調和し、国家安泰・五穀豊穣を祈願・・・
片岡国春によって1550年ごろに築かれたと言われる片岡城は、上牧町内の下牧地区から金富地区へ抜ける峠道の頂部分に中世の山城と伝えられていま・・・
平成27年10月7日に国指定史跡となった上牧久渡古墳群は8基の古墳からなります。築造は7世紀中頃と思われ、前期初頭から終末期までの古墳が同じ・・・
「竹取物語」のかぐや姫の舞台とされる広陵町にある公園。園内に古墳時代の住居を学術的に復元した施設や、ボール遊びが楽しめる大きな広場、・・・
聖徳太子建立の熊凝精舎を引き継いだ百済大寺の故地であると言われています。百済大寺は、7世紀前半に創建された官寺で、再度の移転・改称の・・・